Twitterで日本語教師と学歴に関してのツイートが話題にあがりました。
元のツイートと思われるものを見る限り、過激な内容というか、学歴の有無を批判する内容ではないと思いましたが、そうとは思わなかった人もいたようです。
そこで、日本語教師として複数の勤務先を経験して、実際に学歴は必要なのかどうか私も個人の意見をまとめます。

前提

私個人についてですが、
現在:非常勤講師掛け持ち(告示校以外)※告示校は入国制限につき待機継続中
最終学歴:四年制大学卒業(学士)
日本語教師資格:日本語教育能力検定試験合格
※420時間養成講座修了(ただし、現在は文化庁認定講座ではない)

高校卒業後の進路を考える時点で日本語教師になりたいと思っていたので、「日本語教師になれるところ」と考えました。
その時は大学がこんなにも必要とされているなんて知らなかったので、専門学校への進学を決めました。専門学校は日本語教師専攻で、英語や一般教養なども合わせて2年間学ぶ学校でした。当時の認定養成講座としては条件をクリアしていたものの、文化庁認定に変わった時に認定講座ではなくなってしまったため、現在の「文化庁認定」には当てはまらなくなってしまいました。
今でも意地で「420時間」を注意コメント付きで記載していますが、厳密には修了者にならないことは理解しています。
専門学校のオープンキャンパスでも日本語教師に学士が必要だという話はありませんでした。
ただ、入学してから放送大学のダブルスクールを勧められ、話を詳しく聞くと専門学校卒では勤務先の範囲が限られてしまうとのことでした。
ある科目を担当していた先生は、業界のリアルを学校の忖度なしに話すタイプで、「専門学校卒業でも就職できるのは、卒業生が働いている学校に事実上の推薦ができるからであって学校が介入しないとかなり厳しい。特に専任講師になりたいなんて考えたら、現実的には難しすぎる。ましてや、海外で日本語教師をやろうと思ったらビザの申請ではじかれて話にならないし、ビザ関係は簡単に個人がどうこうできる問題ではないため、学士もなしに海外で働こうなんて無理。」とはっきりと言い切っていました。
多少、強い口調ではあるかもしれませんが、当時はそもそも新卒・未経験者が専任で働く口なんて全くないときで、言い方は悪いですが手っ取り早く専任講師で勤務しようと思ったら海外で経験を積むのが自然な流れの一つでした。
しかし、当時は海外のレールさえも途絶えていた私は専門学校を卒業した後、就職するのではなく四年制大学への進学を決めました。
学校の勧めの通り、放送大学は受講していましたが…通信制の大学と仕事だなんて無理だ、と思ったんですよね。
正直、興味のない科目もたくさんあるし、それでも受講しないと単位が足りないので卒業単位に達しない状況でした。
この場合、自分の性格上、対面で友達となんやかんやしながらであれば乗り越えられるけれど、一人でビデオをみたり教科書を眺めたりしているのでは耐えられない…と。
この選択は今の私を助けてくれています。

①高卒ではダメなのか

いつぞやの「2位じゃダメですか」が思い出されるような口ぶりに聞こえるかもしれませんが、日本語教師は高卒ではダメなのか。

「ダメじゃないです。」

これは、はっきりと言い切っておきたいのですが、高卒だということが理由で何か劣るとか、ダメなところがあるとか、そういうことは全くありません。
仮に高卒のAさんという日本語教師が日本語教師としては「不」と判断されたとしても、その理由は高卒であることではなく、Aさんの考え方や仕事の取り組みが「不」となる原因になったのではないかと考えるのが自然です。
中には「高卒」という点を必要以上に取り立てて、そのために未熟なんだと短絡的に結びつける人もいると思いますが、高卒でも勉強できる人はいるし、素敵な人もたくさんいます。逆に大卒を「頭がいい」と仮定すると、なんでもそんなことも知らないの?という人だっています。
確かに大学では大学での学びがあるでしょうし、大学を無駄な時間だとは全く思いませんが、大学に行くだけが人間としての知性や品性を伸ばすのではないということです。
そして、その大学生活だけが日本語教師たる人材育成につながるというわけでもないでしょう。

つまり、高卒だと知性や品性に劣っている(それなりでしかない)と考えているのであれば、それは誤りだと思いますし、そのことを理由に「日本語教師になるには相応しくない人だ」「日本語教師としてはどんなに頑張っても劣っている」とレッテルをはってしまうことには反対です。

一方で、大学を卒業した、大学院を修了したという点を認めてほしいという人の気持ちもわかります。
頑張って頑張って卒業論文(修士論文)書くの大変ですよね。
そのために調査をしたり、文献を読んだり、高校までとは明らかに違うアプローチで勉強しますよね。
「あんなにも頑張ったのに!」と少し差をつけたくなる気持ちになる人がいても不思議ではありません。
ただ、この点を考慮しても「高卒の人」と一括りにして、そういうレベルの人であるかのような分け方はいかがなものかと思うというのは変わりありません。

②四年制大学卒業(学士)は事実上必須なのか

それでも、高卒、四大卒で線引きがあったり、議論が白熱したりするのは理由がありますよね。
でも、前述した通り、高卒という学歴だけではどう頑張ってもトライすらできないポジションは確かにあります。
国によっては、四年制大学卒業(学士)はビザ申請の上で必須条件になります。
どんなに日本語教師の経験が豊富でいい先生だと評価されても、学士がなければ海外で働くことができない場合があります。
また、海外は日本以上に学歴社会であるところも存在するので、大学を出ていないということを理由に「不」とはじかれてしまうこともあります。
大学も出ていない人も教わりたくないとハッキリ言う人もいます。
まあ、そういう考え方の人もいますからね。(そういう人は少ないので、正直無視しておけばいいと思います。)

日本国内であっても、就職の機会は学歴が増えるごとに広がっていきます。
現状、大学で教えたい場合、大学院(修士)が最低基準になります。
修士がない場合は、それだけで選考さえ受けられません。
主任や校長など、役職が上の方にとキャリアアップを狙う人は四大卒が求められるそうです。(表向きにそのような記載はなくても、必要とされることが多いそうです。)
特に新規校立ち上げ時で関係各所に書類を提出する際は、大卒でも足りない場合があるそうです。以前お世話になっていた学校が分校のような形で新規校の立ち上げを試みたものの、主任の学歴が大学院修了ではないことが突っ込まれて未だに申請が通らないと話を聞きました。
国際交流基金の日本語教師派遣プログラムも学歴で応募できるポジションが違います。

このように海外だけでなく、日本国内においても学歴で線引きがされることはあります。
高卒がダメだということはありませんが、学士という学歴が身を助けることはあります。
自分が望む勤務先やチャンスを学歴を理由に断られないようにするという意味では、学士→修士→博士とできるだけ高みを目指しておくというのは得策でもあります。
少なくとも高学歴だからということでマイナスになることは多くないでしょう。というか、考えにくいです。
高卒が悪いという話ではないと何度も言いましたが、高卒がプラスになって助かった〜!という話をよく聞くということはないです。
マイナスにはならないけど、プラスにもなりにくいということではないでしょうか。

③高卒/四大卒それぞれの優位点

高卒がプラスに…という話は前述しましたが、高卒であることから「就職して働いた経験がある」ということを前提に話をします。
高卒という学歴が優位性を持つのではなく、18歳で社会に出て大学生よりも早く社会人として働いたという点で、社会人経験が長くなります。
勤務期間がどうのということではないですが、やはり社会人経験はプラスの経験だと考えます。
求人に「社会人経験必須」と書いてあることもありますし、ビジネスマナーを身をもって体験していることは実習生やビジネスマンのレッスンではかなり重宝します。
日本の会社での働き方は外国人がどんな日本で読んでも理解が難しいことがたくさんあります。その指導ができるのは本当に頼りになります。
また、大学生活を送っている間に4年の経験をすでに重ねることができたら、大卒の人と比べた時に経験の差は明らかです。
日本語教師は結局のところ経験・実力がものをいうと思っています。
私が大学に行っている間に経験を積んだ同級生を見ると、当時は就職した方がよかったのか本気で悩んだくらい先生として成長して見えました。眩しかったと言いますか…
勝ち負けではないものの、勝てないなと感じたものです。

しかし、一方で大学に通ったことで得られたこともあります。
それこそが四年制大学の学歴が生きるところだと思います。学生が大学進学を希望している場合、「日本の大学はどんなところか知りたい」と言ったら?
それは、通ったからこそわかることです。自分の言葉で伝えられるのは強みになります。
大学でよく使う(理解しておいた方がいい)言葉も伝えられるかもしれません。履修登録、ゼミ、留年、フィールドワーク、サークル…おそらく日本語学校ではあまり聞かない日本語でしょうが、大学生になるのであれば知っておいた方がいい日本語ですよね。そして、ビジネスマンには積極的に教えることのない「大学日本語」だと思います。
(「大学日本語」は勝手に名付けているので、実際にそのように呼ばれているわけではありません)
さらに、個人のキャリアを積み上げていくにも、学歴があったほうが有利になります。
海外で働きたいときはビザがもらえます。これがないと海外では働けません。

このように、自分のキャリアプランや、どんな人に日本語教育をするのかによって生かせる優位性が違います。
学歴そのものだけを見て、どちらがいい/悪いというのではなく、どこなら自分を生かせるのかが大事だと思います。
その上で、学士が必要だというのであれば、取るしかないのです。

④公認日本語教師資格の観点から

公認日本語教師の資格についてはまだ確定していませんが、資格認定の扱いなども検討されていますね。
現時点では「四年制大学卒業必須」という文言はなくなったと聞いていますが、最後まで見届けないと安心はできませんよね。
私の知り合いには、コロナの影響で事実上契約打ち切りになった日本語教師がいます。
その人が言うには、面談の時に「あなたは四年制大学がないので、ごめんなさい。今後の公認日本語教師資格のことを考えると…」と言われたと話していました。
他の理由も総合的に判断した結果だと思うとは口にしていましたが、業界内でも無視できないテーマになっていると感じます。
特に今回のコロナで人員削減を余儀なくされる学校が多発した影響を考えると、あわせて今後の採用基準を見直すこともあるでしょう。
高卒ではいけないということはないですが、どうしても安心感を求めてしまうということはありますよね。
特に経験が浅い場合は注意が必要だと思います。ただでさえ、業界が未経験や経験が浅い日本語教師に優しい環境だとは言えないからです。

資格の点でもそうですが、単純に学歴以上の「何か」を身につけて、自分の身を守る必要がある時代に入ったということでしょうか。
逆説的に「大卒は安泰」ということもできません…

⑤本当に必要なものは?

「大卒(主専攻・副選考ではない)+検定合格」の人と「高卒+420時間」の人がいたとして、現場はどちらがほしいのか。(どちらも経験なしだとします。)
現時点の資格制度で現場が欲しがるのは、後者の420時間修了の人であることが多いと耳にします。
検定合格は、知識的に理解している裏付けにはなりますが、現場での経験が皆無だからです。
検定には教科書分析もありませんし、教育実習もありません。なんなら、日本語教育という分野には片足だって入れたことがないかもしれません。
極論ではありますが、それでも検定に合格することはできるのです。

日本語教育機関が欲しい人材は「教育ができる人」です。つまり、教壇に立って「教えられる人」に来てもらいたいのです。
知識があるだけでは不十分なのが教育現場ではないでしょうか。
頭がいい人が先生になれるというわけではない、というやつですね。
検定合格だけでは教育実習さえもないので、その資格だけで「教えるスキルがある、大丈夫だろう」と判断するのが非常に難しいのです。
一方で、420時間修了の場合は、カリキュラム内に実習が含まれています。
学校によってその実習の方法はさまざまなようですが、少なくとも自分で教案を組んで担当文型の授業をやってみるという体験はしているわけです。
日本語を語学として捉えて、教えるという一連の流れを体験している(やり方は学んでいる)わけですから、実践で生かす基礎はあると考えられます。

しかも、養成講座で授業を担当しているのは現場の経験者であることが多いです。
養成講座もビジネスの側面がありますから、「ライバル校ではなくうちに!」と受講生を取り合っています。
受講生に魅力的な学校だと思わせるための一つに「先生」があると思いますが、その先生が「うちの学校は現場経験はないですが優秀な先生です」だと信憑性に欠けますよね。
大抵は「現場経験○年!授業内で現場でのことも教えます」と打ち出します。
養成講座の先生は実際の授業に絡めながら話したり、経験を伝えたりしながら授業を進めていくでしょう。
そうすると、検定に合格した人よりも情報はたくさん持っているかもしれません。
生かせるかどうかは確かに別問題になりますが、イメージのようなストックがあるのは事実ではないでしょうか。
さらに、実習経験があるというのは採用担当にしてみれば、検定よりもいい感じがするのです。

実際、私の周りの検定合格だけで日本語教師になった人は「養成講座に行こうかな」という人が多くいます。
全部ではなくてもせめて教育実習だけなど、授業構成のための講座を受けたいと。
学校のフォローにも問題があると言えばそれまでですが、個人で学ぼうと思うくらい大変だということです。
もちろん、「身近な人」という限られた範囲での主語なので、業界として全部がそうだと言うつもりも、これが業界の一般的な考えだと言うつもりもありません。
「これもまた一つの現実」だと捉えていただけるといいかと思います。

※検定合格での日本語教師を否定する意図はありません。ある側面を書いたにすぎません。

まとめ

結局のところ、日本語教師は実力があればどこででも教えられるスキルがあります。そういう意味で学歴で判断するのはもってのほかだと思います。
一方で、大変な思いをして大学院まで行った!という人が報われないのもなんだか…というのにも思いを寄せたい気がします。
やはり「学歴は身を助けることもある」というふうになればいいのではないかと思います。

高卒だからではなく、「この人は〇〇の経験がある」
大卒だからではなく、「この人には〇〇の点で有利になる」
ビザなどで必須な場合は、自分がどんな環境で日本語教師になりたいのかで考え、自分で判断をする。
大きい主語で個人を判定しない。

ただ、現在学生で日本語教師を視野に入れて進路を考えたいという人が身近にいたら、私は大学進学を勧めます。
あとで大学に通うというのは本当に大変だからです。
日本語教師、海外勤務の可能性、キャリアアップの可能性を広げる…現状を知っているため、相談をされたら伝えた上で大学進学を勧めます。

一方で、すでに日本語教師として勤務している先輩が「高卒だから」という理由だけで、何年、何十年にも及ぶ経験を教師として「不」とはじかれてしまうことは本当に避けてほしいです。
どんなに資格が変わっても、何十年と業界を牽引してきた人を学歴だけで除外してしまうのは業界として損失でしかありません。
高卒+420時間でキャリアをスタートさせた先輩方が、現在の環境で劣っている点などありません。

資格認定にメスを入れるのであれば、今までの条件で「よし」とされて日本語教師になった人を教師としてダメだというような変更ではなく、報われる変更であるべきではないでしょうか。

いずれにせよ、日本語教師が仲間を学歴で判断して優劣をつけるのはお互いに避けたいことだと考えます。
お互いに各々のバックグラウンドを認め合えますように。