日本語能力試験(JLPT)の受験を考えている学生の授業を担当すると、N2くらいまでは前向きに受験する人が多いという印象です。
ただ、N2に合格して次はN1!となると「受けない」「必要ない日本語」「日本人だって使っていない」という意見が出てきます。
確かにN2までは進学や就職で一般的に求められることもあって「使う日本語」という印象があるんですよね。
一方でN1は対策教材に目を通すと、日本人が見ても「古い…」「これは、この時しか使わないかな…」「どうやって説明しよう?」という文型が多く出てきます。
正直、先生側も頭を抱えるようなものが含まれているというのは事実でしょう。

じゃあ、N1は必要ないのでしょうか?
なくても大丈夫だという人がいるのは間違いないと思いますが、N1が不要というのはいかがでしょう。
私は「そんなことない!」と断言したいと思います。

①「使わない日本語」とは言い切れない

まず、大前提として「使わない日本語」とは言い切れないのではないでしょうか。
確かに「なんじゃこれ!」という文型も多くあるんですよね。
教えるために例文を考えようにも、一つしか浮かばない…
接続を確認すると「名詞に接続する」とか書いてあるけど、その名詞だってなんでもいいわけではないし、条件に合わせたとしても普段使われていないからしっくりこない。
(ちなみに「予想だにしない」は私にとって、上記の文型に当てはまります)

この「予想だにしない」ですが、日常会話で多用している人は身近にいますか?
もちろん、0か100かという話ではないので、いる場合もありますが、私の周りにはいません。というか、「この人は言うかな」と名前が浮かぶような人がいないんです。
ただ、仮に私が会話の中で使用したとして、「予想だにしない」の意味が分からなくて聞き返してくるような人もいないと思います。
つまり、使っているかどうかは別として、この文が分からないという人は少ない(いない)でしょう。

当たり前ですが、使っている言葉だけが「知っている日本語」ではありません。
「知っている言葉」は「使っている言葉」よりも圧倒的に多いはずです。
知っている言葉が多いから、実際に使うときに使えるのです。
必要な時に使えるようにするには、大前提として知っている必要があるのです。

「じゃあ、出てきたときに調べるよ」と聞こえてきそうです。
確かに「調べる精神」は必要だと思いますし、解決方法の一つとして有効だと考えます。
しかし、「出てきたら」に期待すると、表現は頭打ちになります。
特に、一定のレベル以上の語学力を持つと、自分が知っているものだけである程度のことに対応できるようになります。
そうなると、「できてしまう」ので、分からないことに出会う確率が下がります。
できなくて困る可能性も下がります。「調べなきゃ」も減ります。
「このくらいできればいいもん」というのでしたら、それでいいと思いますが、例えば仕事で使用する場合や、新しい環境や相手に対して言葉が必要になると、使用語彙や使用文型が変わる可能性があるので「このくらい」が通用しなくなるかもしれません。
不利益な評価を被らないためには「このくらい」で止めてしまわないことが大切です。

その目標設定をN1にするのかどうかは個人の選択ですが、合否が出るという点で目標達成度が非常にわかりやすいので目標設定には使いやすいかもしれません。
私たちも「英語を頑張る」よりも「TOEICで700取る」の方が、目標設定としては有効ですよね。

②採用の際は他が同じならN1を採用する可能性がある

人間に「同じ人」はいないので、例が極端ではありますが、経験や人柄など、言語レベル以外が概ね同じような印象でどちらか一人しか採用できないとき。
N2とN1なら、N1を採用するという人も多いのではないでしょうか。
そうでない場合は、言語以外のところで白黒ついているはずなので。

日本の採用活動は、「新卒」に重きを置いて足切りをしたり、「学歴フィルター」がかけられたりするのは有名な話で、全部ではないものの現実にある話ですね。
本人の能力がどうなのか、会話力がどうなのかという点がはっきりしない状態で、「こっちの人の方がレベルが高い資格を持っている」と採用されるケースも存在します。
日本人に置き換ええるとTOEICのスコアがいい例ですね。
スコアが高くても会話力が伴っていない場合がありますが、盲目的に「この人はこんなにスコアが高いから英語が話せる人だ!」と思ってしまうんですよね。
「おいおい、採用担当さんよ…」と思いますが、そんなもんです。
そんな会社に就職しなくて済むんだからラッキーじゃないか、という考え方も当然ありますが採用のチャンスを逃したという事実は変わりません。

だからこそ、精いっぱい頑張ってN2を取得して、タイミング的に受験できなくて就職活動に突入するのではない限り、N1も受けてみたら?と勧めたいのです。
正直、資格さえ取ってしまえば、採用試験で日本語の意味を問われたり、どうしてその回答を選択したのか聞かれることはないので、ラッキー合格でもいいわけです。
その人の未来の可能性が広がるのであれば、N1取得のチャンスがある限りは(特に学生には)受験を勧めたいところです。

③働き始めてからだと忙しい

至極単純ですが、働き始めてから資格の勉強をするのは大変です。
そのため、学生のうちに受験チャンスがあるのであれば迷わずトライしてほしいのです。
たまに私の学生にもいますが「働いてからの方がいろいろな日本語を聞くから、勉強になる。そのうえで少し勉強したら合格できるんじゃないか」という実践から学びたいという意見。
うんうん、発想は悪くないですね。JLPTは実践の中から学んで身に着けたほうが運用能力が上がり合格に近づく感じがします。
実際、N1対策授業だけでは不十分だと思います。
ただ、慣れない仕事でいっぱいいっぱいの中で試験に意識を向けるのは難しいことです。

そして、職場の環境によっては、N1に出てくるような語彙は使っていなかったりします。
そうなると試験と現状の不一致であまり有効な勉強法だとは言えなくなります。
JLPTは「文字・語彙/文法/読解/聴解」の試験です。
話す能力は問われません。職場から学ぶというのは多くの場合、「話している内容」「職場の書類」がインプットになるのではないでしょうか。
書き言葉と話し言葉は違います。
書いてあるものも種類によっては文体が違ったり、使用文型に偏りがあったりします。
小説を読む、ニュースを聞くなど、あらゆるインプットを想定しているのであれば実を結ぶかもしれませんが、一言で「日常生活から学ぶ」というのは結構難しいことなのです。

④そもそもいらない資格なら存在していない

これを言っちゃおしまいよ。って感じもしますが、なくてもいい試験なら存在していません。
JLPTは旧日本語能力試験から改良(といっていいのでしょうか)されて新しくなりました。
極論ですが、N1が不要なのであれば、そのタイミングでN2相当をN1として、N1をなくすこともできたわけです。
でも、そうはしないでN1として残しているのは「必要だから」ですよね。

現在、医師免許や看護師試験などの医療現場の免許取得を目指す際にはN1の取得が必須条件になっています。
そうでなくても、JLPTの各レベル感がいまいちわかっていない業界以外の日本人はN2では心もとない感じがするという声も聞こえてくることがあります。
試験のスタイルや方式はいったん横に置いておいて、ということにはなりますが。

今は以前より多くの外国人が日本に住んでいます。
仕事をして生活者として日本にいます。
そうなると、日本人と外国人という視点で仕事を取り合う未来が来るだけでなく、外国人の中で仕事を取り合うようになります。
もちろん、入国が再開されたときにどれだけの人が日本を選ぶのかが問われますが、それでも急にいなくなるわけではないでしょう。

外国人が外国人を採用することが増えるのです。
そうなると、医療関係ではなくても能力の高い人を採用したいという人はN1という単純明快な資格を求める可能性は大いにあります。
そのうち、N1プラス経験など、厳しくなっていくかもしれません。

つまり、どうあがいても「いらない資格」「いらないレベル」と消えることはなさそうだということです。
であれば、取れる可能性があるのであればN2で満足しないで目指してみたらいかが?となるわけです。

まとめ

学歴と資格はいつか身を助けるかもしれません。
それも形のないものなので、どれだけ持っていても荷物が重くなることはありません。

「まあいいや」で受験しない人には「まあ、受けてもいいや」と思ってほしいです。
確かに試験は無料ではありませんが、受験料以上に返ってくるものは大きいのではないでしょうか。

もちろん強制はしませんが、私はメリット・デメリットを一緒に考えてN1受験を勧めています。