日本語教師は当然ですが、外国人学習者を対象に授業をしています。
来日当初は、全く日本語が話せない学生もいます。
国で学習経験があっても、普段の話し方で、1回で思いのまま、言いたいことを100%理解してもらうのは難しいです。
伝わっていないのです。

「伝える」ということを、話し手基準にするのか、聞き手基準にするのかは個人によっても違いますが、私は「はい、言いました」ではだめだと思っています。
基本的には聞き手が理解できていて初めて「伝える」という行為が成立すると考えています。

偉そうなことを言うつもりはありませんが、今回の新型コロナ感染症に関する日本政府の対応はあまり印象のいいものではありません。
日本語教育の現場でもありがちなポイントに沿って「伝え方」を再度考えてみたいと思います。

 話す量 

安倍首相や小池東京都知事、そのほか各地の知事や市長、各省庁のリーダー、などコロナの対応が始まって以来、連日記者会見が行われています。
まずは一方的に話し、後に質疑応答があるのが定番のスタイルだと感じています。
このスタイルがどうこうと言うつもりはありませんが、内容をきちんと理解していますか?
話が長くて
①伝えたいことのポイントが分からない
②最終的にポイントどころか何の話だったのか何も残らない
③気になることがあっても、そのときに質問ができないので「あとで」と言われても、そのときには質問したい内容を覚えていない

つまり、終わった時の聞き手は「で、何?」というのが感想になっていませんか。
私は、日本語ネイティブですがなります。
長すぎて最後まで聞くことも少ないですが、聞いても「で、なんだったんだ?何も変わっていないってこと?」と思うことも多々あります。

日本語学校の場面に置き換えると、例えば、行事の連絡をするとしましょう。
初めての校外学習の情報を周知する時、手元に情報をもっているのは先生だけ。
学生はただただ聞くだけです。
行き先、集合時間、集合場所、持ち物、当日のスケジュール(内容)、非常時の連絡先、注意事項を休むことなく教員が聞かせるのです。
そして、最後に「はい、質問があったら、どうぞ。」と一言。
基本的に質問は出てきません。(理解が追いついていないので質問できません)
そして、教員はさらにこう言います。「はい、集合時間は何時ですか」
残念ながら答えは出ません。
でも、教員は確かに読み上げて聞かせたし、質問がないかも確認はしています。
そのため、「え、質問はないなら、わかるでしょう?」となるわけです。

さすがにそれは無理だよ~、と分かるでしょうが、今、政府が国民に向けてやっている記者会見はこんな感じに見えるのです。
大事な情報ではなくあいさつ的なもので間延びしている感じもありますからね・・・

学習者向けに話す時は「話す量」「簡潔な内容」を意識したほうが伝わりやすいです。

 使用語彙 

今回も横文字の使用がかなり多く、「オーバーシュート」「ロックダウン」「ピークアウト」・・・日常生活で馴染みのない初耳の外来語もありましたね。
伝えたいのか、言わなきゃならないから言っているだけでいろいろ隠したいのが本音なのか・・・
伝える意志があるのか分かりませんでした。
「横文字を使うな!」と言うつもりはありませんが、緊急時に多くの人に理解してもらうために発信することばとして適切だったとは思えません。
馴染みのないことばでも「感染爆発」「都市封鎖」「ピークを越える」と、日本語で発信したら分かりますよね?

日本語学習の場で、これに近いのが語彙コントロールだと考えます。
既習語彙で話をする、むやみに英語(学習者の母語)にすればいいというわけではない、ということです。
N3相当の学生に「日本に住んでいるし、耳にする日本語が多いから~」とさらっとN2(N1)相当のことばを何の気なしに使うと伝わっていないこともあります。もちろん。
ましてや、N4相当の語彙でも忘れてしまっていたり、接続で助詞まで含めて一語だと勘違いしたために音声だけでは伝わらなかったりすることもありますよね。

聞き手が誰なのか分かっていて、理解してほしいと思っているのであれば、話し手が相手の寄り添ったことば選びをするのは当然のことだと思います。

 具体的な情報 

日本政府が発出した「緊急事態宣言」を正しく理解し、どのような行動が求められているのか、本当に分かっていると自信を持って言える人はどのくらいいるのでしょうか。
私が特に気になっているのは①「外出・営業の自粛要請」②「接触人数を最低7割、極力8割を目指す」③「現金給付など新政策を発表する時の言い方」です。

①外出・営業の自粛要請
【「自粛」を「要請」する】というのは、ことばの通りだと、【「自ら進んで自分の行動を慎むこと」を「必要なこととして、実現を願い求めること」】です。
簡単に言うと、【自分から遠慮してくれますよね?お願いします。】という感じでしょうか。
現在の法律の壁があるらしいのですが、要請に従わない事業者を公表するというのは・・・
罰則的な効果があると思うので、本来はお願いが叶わないからといってそこまでしてしまっていいのか。
やるなら【「命令」に従わないから】という前提が必要な気もするのですが・・・
個人的には、こんな時だから自粛し、要請に従ったほうが事態が早くおさまるのでは?とも思いますが、個々に事情が違うので、聞き入れるべきとは思っていても踏み切れない人がいても文句は言えませんよね?「要請」ですから。
ということで、字面での意味と、本来言いたいことがマッチしていないのです。

日本語学校の行事の集合場所を例にすると、教師が「A駅の改札前で集合しましょう。A駅はB線で来るのが遅延が少ないし、本数が多いので遅刻しにくくていいですよ。(気持ち:だからB線を使って来るんだよ)」と話したとします。
ただ、C線のほうが本数は少なく時間もかかるけど、運賃が安い。
結果、学生は運賃の安さをとってC線で来て大幅に遅刻した。

教師はB線で来ることを勧めてはいますが、B線を使用しなければならないルールはないし「B線で来ることが今回の決まりである」とも言っていません。
そのため、遅刻に関しては指導が必要ですが、C線を利用したことに関して文句は言えないはずなのです。

国際的な健康危機のコロナとは次元が違いますが、こういうことだと思っています。
重要なことに関しては字面と伝えたい内容が一致していないと、「行間を読め」「空気を読め」「こう言えば分かるよね?」は通用しないのではないでしょうか。

②接触人数を最低7割、極力8割を目指す
【7割?8割?まず、「極力」なんだったら、達成できなくてもいいんですよね?】
という理解でいいのでしょうか?
そういうことではありませんよね。
多分ですが、日本人特有の難しいことを求める時は急に命令する印象にはならないほうがいいよね?という婉曲的な表現のたぐいではないかと思っています。

さらに言うと、7割ってどのくらい?8割って自分の場合は何人?達成するためにはどうすればいいの?
人によって接触人数が違うのでパーセントでの表現になるのは理解できますが、仮に普段電車での通勤をし、すごい勢いで営業にも出ているし、勤務時間は残業ありまくりで1日1000人くらいと会っていますよ?という人がいたとしたら8割控えたとしても200人に接触している計算です。
さすがに、例が極端すぎますが。
こういう人が家族総出でスーパーで買い物し、公園で遊んで帰り、その後ジョギングを楽しんでいたとしても8割は達成していると言い張るかもしれません。

これに関しては、諸外国で発信されているように、「買い物は家族の代表者が一人で行く」「二人以上で散歩など外出しない」と、行動する際の具体的な規範を示すべきだと考えます。

日本語学校だとしたら、「自宅学習をできるだけしましょう」という表現が似ている例だと思います。
具体的に「いつ」「何を」「どのくらい」「どのように」勉強したらいいのか抜けきっています。
基盤ができてしまっていて、放っておいても勉強ができる学生は大丈夫ですが、「勉強の仕方」をイマイチ理解していなかったり、習慣作りから始める学生に関しては最初のうちにそこまで伝えないと「できるだけって、どのくらい?」と意味不明な指示なのです。
そして、先生は言いました。学生は「自分なりに」やりました。と、堂々巡りの発生と、学生側の「先生が言うとおりにやったのに怒られた。うるせー」につながります・・・
残念な限り。

③現金給付など新政策を発表する時の言い方
状況が日々変わり、予定していたものがなくなったり、急に新しく追加されたり・・・
それ自体は仕方がありませんよね。
ただ、気になっているのは「いつまでに」「何を」するのか、具体的な短期目標と、最終達成期限が全くもって示されないことです。
いつも後出しで「連休明けに話し合います」とか言われますけど・・・
基本的に一般企業で新しいプロジェクトを始める場合は、最終到達点とその期限があり、どの道筋で行えばいいのかその間にすることを考えます。

これは学生と教員のコミュニケーションよりも、同僚同士のほうが頻発するかもしれません。
例えば、定期試験作成の時・・・
当たり前ですが、試験日までに「試験実施日と同じ状態」まで完成させておく必要があります。
作成するのは試験問題、模範解答、必要ならば解答用紙。
【試験範囲を決定→試験の問題形式を決定→試験の構図→実際に仮テストを作成→ほかの人にミスや不備を確認してもらう→最終責任者の確認→学生分コピー→試験】という流れだとしましょう。
最終責任者の確認が1日で済むわけもないし、変更に対応する予備的な期間も必要です。
これを連携で行うことを考えると、「最後に間に合えばいいよね?」ではなく、各工程に締め切りを設定し、共有しておく必要があります。
それが分かっていれば、「〇〇日くらいは仕事が増えて大変になるから先にできる仕事は済ませておこう」などの個々の優先順位も設定できます。

日本政府はこの発表が遅いので、「本当にできるのか」「いつまで持ちこたえたらいいのか」「休業とは言われても踏み切れない」となかなか動けないんですね・・・国民側も。
マスクもそうです。
結果、不備だらけで再回収のようですし、自分で作れるという人も多い中で多額の税金の使い方としてどうだったのか・・・
個々の意見があるので、マスク配布を全否定はしませんが、「再回収」は防ぐべきだったのではないかと思います。
結局、最後の「配布すればいい」というところにしか焦点がなく、間の工程を考えていなかったのではないかと。

よくありますが、国の施策は「ごめん、回収するから」で済まされている感じもありますが、会社だとあり得ないですよね・・・

ああ、話がスレてしまう・・・
日本語学校でも、できるだけ話に一貫性をもたせたいですし、変更する際は「〇〇が△△に変更」と図で表せるくらい簡潔に、具体的に示したいものです。




異常事態になると、普段見えなかったことも見えるようになりますね。
意識高い形教師ではありませんが、気づきは活かしていきたいものです。
(授業は休みが続いておりますが・・・)