2019年2月5日
通常通りの仕事中…
左目の内側の視野が真っ黒になっていて、欠けていることに気がついた。
ん?なんかこの黒変じゃない?
私の鼻そんなに高くないよね…?くらいにしか思わなかったんだけど。
蛍光灯の影響か、真っ黒と通常の見え方の境目が僅かに光って見える感覚…
後光が光る感じというよりは、ラメがキラキラする感じの方が近いと感じで。
でも、それも気のせいかと思うくらいのもので、あまり光っていない感じもするし。
それでもなんでも見えてない事態なんて想定してなくて、信じられなかったから何回も一人視力検査やったよね。
右目だけ隠して、左目だけ隠して…
うーん、見えない…と。
これ、基本的な目の疾患確認に有効なので、網膜剥離に限らず気になることがある場合はやってみたほうがいい!
目って、普段両目で見ているから、片目だけが調子悪くても気がつかないことって多いんだって。
網膜剥離もだけど、痛いとか、かゆいとか、感覚的な自覚症状がない場合が多いので、見え方確認は大事!!!
そして、見え方がおかしいのは何かあると思って病院へGOOOOO!!
すぐ行きましょう。
この日は普通に仕事して帰宅。
なんなら、帰宅前にリラックスが必要だと思ってアイマッサージを受けようと思って、お手軽マッサージサロンに寄り道したくらい。
空きがないとのことで、マッサージが受けられず帰宅。後に受けられなかったことがむしろラッキーだったと知るんだけどね。
正直、「網膜剥離」なんて、病名を知っているだけで、自分がかかるかもしれないなんて頭の片隅にもなかったし、この時は本当に「あ、疲れてるわ」としか思わなかったのよ(°_°)
次の日、午前午後と普通に仕事はしたんだけど、少しだけ早帰りさせてもらって病院へ…
完全に軽い診察で終わると思ってたから、勤務地近くの病院へ行こうと思っていたのね。
「今から行きたい」と電話すると…
1つ目「その症状はうちでは診られません」
ʕ•ᴥ•ʔあ、そうなの?
2つ目「暗室がなくて…設備がないので来ていただいても何もできません」
ʕ•ᴥ•ʔん?設備とか必要なの?
3つ目「うちで見るのは構いませんが、その後の対応ができません」
ʕ•ᴥ•ʔソノゴノタイオウ?何それ?(手術を意味していたと後で知る)
4つ目「うちの病院まで時間内に来られませんよね?近くにあるA病院は時間外外来がありますよね。そちらに行かれては??」
ʕ•ᴥ•ʔうん、確かに間に合わないと分かっててダメ元で連絡しました。ごめんなさい。
5つ目「初診ですか…初診の時間外は受けません。近くに◯◯病院がありますよね。そちらに行かれてはどうですか?」
ʕʘ‿ʘʔえーっっっ!それってマンモス有名病院やんけ!!私ひどいの?!
病院難民になって、有名病院の緊急外来に行き着きました…
緊急外来なんて自分には縁がないと思っていたよ。
というか、最近は皮膚科以外には病院も長らく行っていなくて。
風邪もひかないし、インフルにもかかったことないし、予防接種も必須のものが終わってからは縁がなかったし・・・
断られ続け、しまいには大病院に行き着いて…この時「あ、簡単なことじゃないのかも。やばい感じなのかも。」と初めて思った。
さすがに歩いている最中は、不安で足が重かった…
診察はさらっと終わり、私の気持ちとは裏腹に
「はい。網膜剥離ですね。あと、反対の目に白内障。あ、これは知ってますよね?」
と。
同棲中、完全なる日常の中でさらっとプロポーズされるアレみたいな感じで言われました。
網膜剥離は覚悟してたけど、白内障なんか知らなかったよ。
だって、私まだこの時29歳だよ?
網膜剥離は強い外傷を受けた人(特にボクサー)の病気でしょ?
白内障なんて、加齢によるアレでしょう??
30にもなっていない、外傷もない私には関係ないやん、ってのが第一印象ね。
網膜剥離はこの時点で手術必須!という状態で、やはり軽度なんていう範疇は超えてたよね〜
思い当たる原因なんて聞かれても…ボクサーじゃあるまいし何もないよ…
白内障を診てアトピーの確認をされた結果、網膜剥離もアトピーが原因の可能性が高いんじゃないかと。
白内障と一言で言っても、色々種類があるそうで…
私のタイプの白内障は若いアトピー患者に多く出るそうです。
でも、原因は結局100%だとは言い切れないからと、「不明」になるんだって。
とりあえず、精密検査と入院準備のために明日朝一番で再外来決定で帰されました。
万が一緊急入院になってもいいように最低1泊分の入院準備はしてくるようにと言われて…
仕事早退してたし、明日からのこともあるし…
と、パニックの中でも冷静な自分もいて、とりあえず職場に報告の電話。
申請書とかやるべきことはあったけど、時間も時間だったし、さすがに不安で辛すぎて直帰。
ここから。
自分の人生が変わったと大きなこと言うほどの変化ではないかもしれないけど、「今まで通り」とはいかなくなった気がしたし、自分の中では「病気前後」で人生の区切りになったのは確か。