仕事は日本語教師だというと「英語ができるんだね」と言われることが多いのではないでしょうか。
そんな影響もあってか、日本語教師は英語が必要だと考える人もいますよね。
でも、実際、英語はできなくても問題にはなりません。(直接法で教える学校勤務の場合)
もちろん、英語ができることがアドバンテージになることもありますが、それよりも必要なことがあるのではないかと思います。
個人的に英語の知識よりも、近代史の知識があったほうがいいと考えます。
今回は歴史を理解していたほうがいい理由をまとめます。
①戦争問題は根深い
最初からヘビーな内容ですが、これが一番大事だと思います。
特に夏になると、ニュースで取り上げられる頻度が増える影響もあって、戦争の責任問題についてどう考えるのか各国の意見が出てきやすくなります。
例えば、首相の靖国神社参拝関連のニュースには必ずと言っていいほど、韓国や中国から遺憾の意が示されます。
その影響を考慮して、終戦記念日に参拝しないというのは最近の首相のトレンドになっているような気もします。玉串料の奉納だけをしてあくまで参拝はしていません、という具合に。
まあ、参拝するかどうかはここでの議論の対象外としますが、なぜ「靖国参拝」がこんなにも取りざたされるのか知っていますか。
他の神社ではなく、なぜ靖国神社なのか。
靖国神社は第二次世界大戦と関わりが深い神社だからです。
日本語学習者の多くはアジア圏出身です。
第二次世界大戦時、日本はアジアの国々を植民地化していた歴史があります。
その際に多くの犠牲を払った国もあります。
日本が進出してくることが好意的に受け取られていたわけではありません。
有名なのは韓国や中国での話ですが、フィリピンやインドネシアなど様々なアジアの国に日本は影響を及ぼしました。
日本側から見た歴史は「うまくやっていた」「受け入れに好意的だった」などと、あたかも何の問題もなく歓迎されていたともとれる表現を使っている場合もありますが…
百歩譲って、そういう人もいたかもしれません。
でも、「みんなが」というのはいかがでしょうか。
世代的に自分の祖父母が戦争の苦しい時代を生き抜いた人たちで、その話を聞いたことがある人もいます。
家族間でそのような話がなされなかったとしても、各国の歴史の授業では取り扱っているはずです。
政治、歴史、民間交流は全て別物として考えている人もいれば、どうしても好意的には考えられないという心情の人もいます。
どっちでもないという意見の人でも戦争に関することだけは複雑な思いを抱えている人もいます。
それは、戦争当事者だけではなく、その子孫も同じです。
一方で、戦争問題に関してはアジアだけではなく、欧米諸国でも同様です。
当時は敵国として戦っていたわけですから、勝ち・負けからくる主従関係があると考える人が「個人」として存在することも確かです。
どこの国の人にとっても大きな影響があったわけですから、戦争があった事実や現在問題になっている戦争を起因とする国際問題を「昔のことでしょ、知らない」というのはいかがでしょうか。
授業中に特段その話題に触れたり、取り上げたりすることはないでしょうが、何かの拍子に浮き彫りになったりすることはあります。
どう答えるのか、答えない場合はどうかわすのかというのは一度は向き合っておいたほうがいいのではと考えます。
ちなみに一つ例を出すと8月15日の「終戦記念日」ですが、国によって捉え方がかなり違い、この表現に引っかかるという学生もいましたので、「だってそういう名前だし〜」だけで終わらせるのは危険だと思いますよ。
②日本の男女格差の起因を探る
現代、盛んに「男女格差の是正」が叫ばれていますが、どうして何年も改善されないのでしょうか?
どうして、日本では育児は当たり前に母親の仕事とされているのでしょうか?
どうして、男性のほうが社会で認められる傾向にあるのでしょうか?
男女の給料格差、男女の役員格差、政界の男女差…男尊女卑とも呼ばれる男女の差は何年も改善が求められているのに「達成した」とは聞きません。
なぜでしょう?
改善していないから、でしかありませんが、そもそも男女差別につながる男尊女卑の考え方は昔の日本では当たり前のことだったからではないでしょうか。
江戸時代、戦国時代、縄文時代…そんなところまで遡るのは行き過ぎかもしれません。
「近代」に絞っても十分に考えられると思います。
詳しく研究しなくとも、どのような歴史変遷があって、今に繋がっているのかを考えるといいかもしれません。
その結果、個人的に考えがまとまるでしょう。
例えば、政治家が生きてきた世の中が時代的にそうだったから改善されない、と考えるのであれば、選挙で若い政治家に投票することが改善の一歩になるかもしれません。
事務職は女の仕事となっていることに問題点を感じるのであれば、まずは自分が総合職として就職することが、個人としての一歩になるかもしれません。
正直、正解のない中で正解を探し、一人では変わらないことに立ち向かうのは大変なことです。
「もういいや」と思うことも多々あるでしょう。
でも、一石を投じる、風穴を開ける、そういう行動は後々大きな変化を生むきっかけになるはずです。
大それたことを一人ですることは難しいですが、「まずは自分の環境から」と事態を動かそうとすることは素敵なことではないでしょうか。
少し話が逸れましたが、日本が頭を抱えている男女格差は、他の国でも問題になっています。
授業でも話題に上がりますし、単純に意見を出しやすい話題でもあります。
そんな時に、どこまで遡って話をするのかは個人によって異なりますが、先生という立場を考えて「知っている」のは大事なことではないでしょうか。
特に「日本は進んでいる」と信じている学生や教員が、そこだけに注目していると、日本の変化にはきがつけません。
仮に日本は進んでいるとしても、過去にどんなことがあって変化が生まれたのかというのは知っていたほうがいいと思います。
③ざっくりとした時代の感覚は助けになる
読み物で「発明品」をテーマにしたものがあります。
「ああ、発明ね。読みましょう〜答えは〜はい終わり〜」でもいいかもしれませんが、年代からその時代がどんな時代だったのかざっくり分かれば、電球が発明されたことがどんなに有益だったのか、飛行機が発明されてどう変化があったのか、など話を広げることができます。
どれだけの影響があったのか考えるきっかけにもなります。
今だったらどんなものが発明されたら嬉しいか、などを話す上でも「ロボット」だけで終わらず楽しい有意義な活動につなげられると思います。
学生の中には日本の歴史に興味を持っている学生もいます。
よくあるサムライかっこいい!というのもあれば、自国で何かがあった時、日本はどんな時代だったのかを知りたいという学生もいます。
例えば、ロンドンで地下鉄が開通した時、日本はどんな時代だったか知っていますか?
そういうことは小ネタでも使えるので知っているといいですよ!
まとめ
何事もできたほうがいいし、知っていたほうがいいことは変わりないですが、個人的に歴史に関しては復習しておくといいのではないかと思います。
日本語教育能力検定試験の試験範囲にも「日本語教育史」が含まれていますが、ここの問題を理解する上でも基本的な近代史の流れは必要になります。
歴史上、起きたことは今から変えることもできないし、「IF(もし)」も存在しません。
しかし、そこから学び、どう生かしていくのか、いい歴史はいい未来につながるし、ネガティブな歴史はそこから何を学び生かすのかが大事になります。
いずれにせよ、知らないと始まりません。
歴史が分かることが日本語教師として必須というわけでもないですし、それが資質だというわけでもありませんが、配慮できるというのは強みになります。
色々な国、色々なバックグラウンドがある人が集まる日本語学校(日本語教育現場)です。
お互いを尊重して、勉強の場が作れるといいですね。