常勤講師になって、なんだかんだ楽しく仕事をしていましたが、あっけなく非常勤講師に戻りました。
原因は「網膜剥離」になったことなのですが、どうして常勤で勤務を続けるのではなく、非常勤になることを選択したのかをまとめます。
「網膜剥離」は目の病気なのですが、その程度は様々です。
ネットで検索すると、どんな病気なのかは簡単に調べることができますが、出てくる情報が全てではありません。
視力回復して普通に仕事をし、車の運転も問題なく…のような情報も多く、自分もその一人になるのだと思っていましたが、そういう経過をたどることはできませんでした。
悲劇のヒロインになるほど悲観する必要はないですし、生活が大きく変わるということもありませんが、同じではいられなくなった、というのが個人としては本音です。
ということで、常勤でも勤務できたはずなのに、どうして不安定な非常勤に戻ることにしたのかという観点でまとめます。
①業務量に無理があるから
専任で勤務している先生たちの業務量はかなりハードです。
多くの学校が「専任講師=便利屋さん」というくらいの業務量を抱えています。
便利屋さんとは?というと、学生募集も学生指導も学生のメンタルケアも学校広報も…なんだかんだで一手に担っているのです。
はっきり言って、専任講師いえども専門家ではありません。
その上で、クラス運営をするわけです。非常勤講師を束ねたり、全体の統率をとるのも専任(担任)です。
私が勤務していた学校は経理だけは専門の人がいましたが、他の業務は専任で分掌を、という感じだったので一人に対しての業務分担は結構多かったです。
さて、当時ですが、術後すぐの私は片目での生活が始まったばかりでした。
それでも、採点の分担など他の人に回してもらえることはなく「そういう契約だから」と仕事は変わらず回ってきました。
正直「え?このくらいはしてくれても???」という気持ちがなかったわけではありませんが、学校側の言い分も間違っていないのです。
同じ給料なのに、その契約でサインをしているのに、「病気になったからできません」というと、何も変わらないのに他の人に負担がいくだけです。
最初は仕方ないと思ってくれる人も多いでしょう。
あまりに痛々しい目で出勤しているので心配してくれる人も多くいます。
でも、「仕方ないから他の人が負担を多くする」が当たり前になると負担が大きくなる方が不満も生まれますよね。
綺麗事だけではどうにもならないので仕方がありません。
そのため、専任の業務量を当時の自分が負担できないと判断しました。
実際、仕事よりも自分の目の方が大事です。
仕事が少し減って、給料が少し減っても、どうにか生きていけますが、目が見えなくなっては…
今の自分には目が見えない生活は想像ができないことなのです。
残っている片目を絶対に悪くしたくない一心で仕事の量もコントロールしたいのです。
自分の中の優先順位が大きく変わったのですね。
②通院、次の手術を考えると時間を自由にしたかった
専任には有給があったり、社会保障が充実していたり、病床休暇があったり…もちろん、その制度があるだけで大きなメリットがあります。
でも、それが自分だけの都合で取得できるとはかぎりません。
どうしても出張などが重なっていて、私が出勤しないといけない…ということもあり得ます。
そうなると、専任として頭数に入れられている状態は、自分都合だけでは動きづらいという側面もあります。
一方で、非常勤講師だと、前もって相談は必要ですが授業の代講を見つけるだけでいいので専任より圧倒的に休みやすい環境でした。
幸い、他の非常勤の先生も進んで代講に入ってくれる先生がいる学校だったので、非常勤講師にはありがたい環境でした。
今後、通院は避けられなかったし、手術もあることが決まっていたので、そちらを優先する必要があるというのが自分の優先すべきことだったのです。
③やりたくない業務が明確化できた
正直、私は授業がしたいのだとわかりました。
学生指導として、アルバイトにとやかく言ったり、休みが続いたら家庭訪問をしたり、出席率にガミガミ言ったり…それは私がしたいことではなくて。
というのも「管理している」と勘違いしている先生がいますが、自分もそれと同じようにしないといけないのがストレスなんですよね。
ただの理想かもしれませんが、あくまでも大人を対象としている、相手を大人だと思って接する人でありたいと思うのです。
実際は、日本語学校側にも都合があるので「ビザが欲しいだけだった学生」に対して何もしないでいいというわけにはいきません。
だから、日本語学校側のこともわからないとは言いませんが。
④掛け持ちで日本語学校以外の場所でも教えたい
もともと、日本語学校に就職したいと固定していたわけではありません。
英語での媒介語教育にも興味はあるし、年少者向けの日本語教師も惹かれます。教室でのグループレッスンだけではなく、プライベートレッスンもできた方が良さそう。
そんなことを考えていると、日本語学校だけに時間を割いているといつまで経っても他の可能性には道をひろげられません。
この点は非常勤だからこそ、自分を好きなところに行かせられるんですよね。
現実は甘くないので、「非常勤講師の方が稼げる」ということは一切考えていませんが、多少稼ぎが少なくなっても生きていけると踏んだら進める気がしました。
現実、日本語学校以外にも専門学校やビジネスパーソン向けにレッスンができるようになり、満足しています。
まとめ
簡単にいうと、病気が環境を変えたから。だけなんですが…これを機に色々考えました。
正直な話、少し考えていても生活できる環境があるので自由に考えられているというのが事実ですが、それでもゆっくり考えてみる時間を作れたことはよかったです。
目を考えると、今後、日本語学校の専任として勤務することはなさそうな気がします。
また海外で働けたら、その時は専任もいいのかもしれませんが♪